幼女論① #23
「男である我々にとって、最も遠く儚い存在」
僕は、そう定義する。
今回は、定義の理由について話す前に、僕の持つ究極の幼女像を語らねばならない。
僕にとってのリトルガールは、5〜14歳だ。
ここでの重要なトピックは、そのピークが14歳であり、そのピークからたった1つ歳を重ねた15歳という年齢の女性に対し、幼女という名を与ふることができないということだ。
まずは14歳という年齢の持つ魅力。
幼い風貌から溢れ出る美しさを堪能したいだけであれば、8〜9歳が最高点にあるという意見を持つ方も多いだろう。僕もその点に異議を唱えはしない。しかし、僕の理想形は「ロリ」という範囲を超越することなく且つ、ある程度の知識を備え持っていることだ。
「口撃による辱めに屈し、赤面する姿が見たい」
僕のそんな願いを叶えるためには多少の知識教養を備えていて貰わなくては困る、というわけだ。
では、何故より優れた頭脳を備えた15歳以上をストライクゾーンと見なせぬのか。
15歳。義務教育を終えようとする時期に差し掛かり、彼女らの頭にはJKという淫らな二文字が浮かんでいる。幼い様相を振り払い、大人な女性への階段を上るための準備期間に入っているのだ。そんな彼女らに、自身の理想を投影し理想の体現を強要するのはタブーであろう。
そして16歳以降は更にまた微妙な変化を遂げ、老い行く。その変化は様々ではあるが、ベクトルが向きを変え、逆走することは決して起こり得ない。
小学生時代、蚕という幼虫が比較的愛されていたことを記憶している。しかし蚕が糸を吐いて繭の姿になれば、その興味は薄れ行く。そして、蛾になった途端、新たな蚕に浮気する。
蚕=5〜14歳
繭=15歳
蛾=16歳〜
異論は、認めない。
〜〜〜②へ続く〜〜〜