Twitter脱却へ〜sayugの旅〜

SNSに蔓延る生活を改めようと決意した漢の物語。

幼女論② #27

全人類待望の第二章。

 

前回は、僕が14歳こそ至高であるという理由について

「口撃による辱めに屈し、赤面する姿が見たい」

と発言したことにより僕にはまた違った性癖があるのではないかという疑念を抱かせたところで終了していたと思う。

忘れろ。

 

 

今回は、一章で記述した定義「幼女とは男にとって最も遠く儚い存在」についての言及を重ねようと思う。

 

僕自身の年齢と、唯一無二の存在である14歳との年齢差はたったの5。結婚という視点からこの差を見ても、年の差婚と言われることも無いだろう。

結婚可能な差であるということは、僕は14歳の娘と結婚をし、15歳になってしまったら離婚。また新たな14歳と結婚し、1年後に離婚。これを繰り返せば永遠の至福が手に入れられる。

この発想に至った瞬間、僕は狂喜乱舞した。19年の人生の中で初めて、自分自身を秀逸な人間であると認めてやることができた瞬間となるはずだった…

ここで弊害が生ずる。

 

そう、「老い」だ。

 

嫁の年齢(14歳→14歳→14歳→…)

僕の年齢(19歳→20歳→21歳→…)

 

酷い話だ。

この世の中はロリコンへの悪態が過ぎている。

ロリコンにも、どうか報いを。

 

 

僕が30代に差し掛かった時、僕を好いてくれる14歳が居ますように。

これは、今年の7/7に僕が短冊に書いた願い事だ。

 

そして更に気づく。

そもそも14歳って結婚できないやん。

 

 

幼き娘によばふこと、そは社会的死を意味す。勇敢なる戦士、死を恐れずその意表せど、聳え立つは法の壁。我、仮に永遠なる十九の齢得るとも、峙ちたるは法の壁。

我が十四なる妹、遠く果無きこと甚だなり。

 

 

〜〜〜③へ続く〜〜〜

 

サイドバックの評価の仕方 #24

ダニ・アウヴェスとマルセロ。

一世を風靡したサイドバックであり、彼らを世界最高と評する者は少なくない。彼らの誇る絶大な攻撃力は、DFというポジションに求められる以上のものだ。長友佑都が「マルセロは、イニエスタサイドバックに居るかのよう」と口にする程に。

 

なるほど、彼らがオフェンス面で数年間に渡り世界を魅了し続けたことが伺える。が、彼らの本職は何であっただろうか。彼らのポジション名を今一度確認して欲しい。サイド"バック"、サイドの守備を託された人間だ。

サイドバックにも多分に攻撃性能の高さが求められる現代では、"第一任務"を放棄しても"第二任務"の能力が異常なほど特化している彼らは高い評価を受ける。

 

例に挙げた、マルセロ、アウヴェス、それぞれが"第一任務"を切り捨て、"第二任務"のため駆け上がった背後のスペースには常に世界最高のセンターバックが君臨している。前者にはラモス、後者にはピケやチアゴシウバ。こういった存在が無くては、マルセロやアウヴェスはストレスを感じずに前線へ駆け上がることは出来なかったであろう。

「no Ramos no Marcelo」

「no Pique no Alves」

というわけだ。

 

そして私は、ラモスやピケといった前提条件が無ければ成立しないマルセロやアウヴェスを、サイドバックとしては評価しない。

マルセロは「マルセロ」というポジションを、アウヴェスは「アウヴェス」というポジションをそれぞれの仲間と共に作り上げ、そのポジションを成立させたと言うべきだろう。

 

私がサイドバックのプレイヤーに求めるのはバランスだ。サッカーは90分の中で守備の時間、攻撃の時間に入れ替わりがあるスポーツ。超攻撃タイプのサイドバックは守備の時間に穴となり、超守備タイプのサイドバックは攻撃の時間に浮いてしまう。

攻守に深く関わりのあるサイドバックには、いずれもを平均以上に熟せる能力が求められる。

 

そしてもう一つ、私がサイドバックに求める評価のポイントであり、多くの選手の悩みの種でもあるのが、空中戦だ。

世界中を見渡しても、身長180を超えるサイドバックはなかなか見当たらないが、ディフェンダーである以上、ヘディングで相手に競り勝つことは当たり前に求められる。

 

「バランス」「空中戦」

この2つのポイントを十分に備えているプレイヤーをこそ、高く評価したい。

 

そろそろ「結局お前は誰が世界最高だと思ってるんだ」と言われそうだ。ということで答える。が、チームのスタイルやコンセプトを加味しない、選手個人の絶対評価であることを念頭に置いて欲しい。つまり、本当にバランス性能の高いプレイヤーを選出するということだ。

 

左に、フィリペルイス。

右に、アスピリクエタ

異論はあるだろう。噛み付いてきてもらって構わない。そしてみんなの意見も聞いてみたい。

 

右はカルバハルと迷いに迷った結果のチョイス。カルバハルの空中戦の弱さを鑑みて、5cm程であるがより身長が高く、センターバックとしての経験もあるアスピリクエタを選出した。

 

左は、文句無し。これは私、数年前からずっと言ってる。身長182で、シメオネの指揮下で磨かれた守備センス、平均以上のテクニックとクロス精度。私の愛するレアルマドリーのライバルチームの選手だが、惚れ込んでる。

 

ここまで事細かに評価の仕方を語った故、一応世界最高を述べてはみたものの、先に述べたように試合状況によって役割の変動が起こるポジションであるため、究極を言えば

「攻撃の時間」の世界最高はマルセロ。

「守備の時間」の世界最高はファンフラン

と、その役割の可変性故に、評価までもが可変的なポジションであり、世界最高をただ1人に決定することそれ自体ナンセンスなのかもしれない。

 

 

幼女論① #23

「男である我々にとって、最も遠く儚い存在」

 

僕は、そう定義する。

 

今回は、定義の理由について話す前に、僕の持つ究極の幼女像を語らねばならない。

 

僕にとってのリトルガールは、5〜14歳だ。

ここでの重要なトピックは、そのピークが14歳であり、そのピークからたった1つ歳を重ねた15歳という年齢の女性に対し、幼女という名を与ふることができないということだ。

 

まずは14歳という年齢の持つ魅力。

幼い風貌から溢れ出る美しさを堪能したいだけであれば、8〜9歳が最高点にあるという意見を持つ方も多いだろう。僕もその点に異議を唱えはしない。しかし、僕の理想形は「ロリ」という範囲を超越することなく且つ、ある程度の知識を備え持っていることだ。

「口撃による辱めに屈し、赤面する姿が見たい」

僕のそんな願いを叶えるためには多少の知識教養を備えていて貰わなくては困る、というわけだ。

では、何故より優れた頭脳を備えた15歳以上をストライクゾーンと見なせぬのか。

 

15歳。義務教育を終えようとする時期に差し掛かり、彼女らの頭にはJKという淫らな二文字が浮かんでいる。幼い様相を振り払い、大人な女性への階段を上るための準備期間に入っているのだ。そんな彼女らに、自身の理想を投影し理想の体現を強要するのはタブーであろう。

 

そして16歳以降は更にまた微妙な変化を遂げ、老い行く。その変化は様々ではあるが、ベクトルが向きを変え、逆走することは決して起こり得ない。

 

 

小学生時代、蚕という幼虫が比較的愛されていたことを記憶している。しかし蚕が糸を吐いて繭の姿になれば、その興味は薄れ行く。そして、蛾になった途端、新たな蚕に浮気する。

 

蚕=5〜14歳

繭=15歳

蛾=16歳〜

 

異論は、認めない。

 

 

〜〜〜②へ続く〜〜〜

 

 

恩を仇で返しはしない #19

私以外の全員と会話したことがあるのではないかとすら思われる人間から、遂に話しかけられた。友のある予備校生活のスタートに、ゴングが鳴り響こうとしている。しかし、驚く程会話は弾まず、LINEで表現するならば吹き出し(💬)2つ程度の会話に終わった。

全身の9割をコミュニケーション能力で固めたような人間でも、私というハードルを越えることには困難を覚えているらしい。

 

 

どうも。

昨晩、井上小百合が古くから抱える膝の痛みを訴え、全国ツアーに帯同しないことを発表。

今朝は、私が愛したマテオ・コバチッチのレアルマドリー退団の発表。

もちろん、気が滅入っていることには違いない。

しかし、我々ファンが井上小百合から得た幸せな感情は、井上小百合の努力によって生み出された感情であり、今回の彼女の休養とそれによる我々ファンの暗然とした感情もまた、彼女の努力によって生み出された結果なのである。

ファンがここで彼女の不参加を悲しみ続けることは、彼女の努力に対する否定に等しい行為なのかもしれない。

私は私自身が前を向き、彼女がまた9月に控える舞台「リトル・ウィメン」に向けて再び立ち上がり、一歩を踏み出す原動力の一因となれることを懇願する。

 

 

頑張れ、さゆにゃん

 

 

 

【football】

デリフト、ネイマールグリーズマン辺り、動きがあれば順を追って。。。

SLANG #15

昼、観劇してきた。

さゆが再三言ってた「言葉の力の不思議さ」

その意味を噛み締めることになった。

 

夢の世界と現実の世界、それぞれの役者がそれぞれの世界で全く違う演技を見せてくれる。その表現力の凄さに圧倒された。魅せられた。という言葉の方が適しているかもしれない。

 

井上小百合の美貌さのあまり、舞台内容をあまり覚えていないことに関しては、今は触れないでおきたい。

 

あれだけ美しい人間と同じ空間に2時間もの間居座らされて、

「愛している」「結婚しよう」

そう叫ぶことは許されていないのである。私の目には、些か激しい矛盾と映る。

 

しかし僕にだって理性がある。

僕の尊敬する人間の1人は、理性をこう、定義する。

「理性、それは人間だけが持つ判断能力」

そう。僕は自分自身に備わる判断能力によって、井上小百合への求愛求婚を阻止したのである。

そして、16時24分。舞台終了の時刻をもって、私の人間が証明された【Q.E.D

 

 

 

 

コパアメリカ総括 #12

若手中心のメンバーで挑んだ日本代表はグループCを3位で終え、グループAとBのそれぞれの3位のチーム以下の成績であったため、敗退。

 

数名をピックアップし、個人的評価を付けてみたい。(6.0が普通、最大10.0)

 

 

川島(5.5)

就職活動としては悪くない期間になったと思う。相変わらずミスは目立つが、W杯の時に比べれば見違えるほど良くなった。何れにせよ、もう代表には呼ばなくていいよ。

 

久保(100)

今大会最大の収穫。レアルマドリー移籍で我々を驚愕させた18歳の日本人は、世界レベルでも戦えることを十分に示した。初戦でバルセロナ所属のビダルを鮮やかに交わしてフィニッシュに持ち込んだシーンは印象的。更に今朝のエクアドル戦ではチャンス演出数は驚異の7回。

彼はレアルマドリー所属。

レアルマドリーYouTubeチャンネルで今後彼のプレーする試合を放送することもあるので是非チャンネル登録をして欲しい。

レアルマドリー所属です。

もう一度。レアルマドリー所属です。

 

冨安(7.5)

久保に次ぐ収穫。

チリ、ウルグアイエクアドルの屈強なFW陣に臆することなくそのポテンシャルの高さを見せつけた。カバーニスアレスにも負けないフィジカル、ビルドアップ能力の高さ、判断力の高さ。幅広いタスクを高水準で熟せる現代的CBの成長は今後も楽しみ。

 

前田大然(3.1415...)

一体いくつのチャンスシーンを無駄にすれば気が済むのか。冗談は頭と顔だけにして欲しい。

 

上田綺世(1)

一体いくつのチャンスシーンを無駄にすれば気が済むのか。これでは法政大学の株が下がって当然。

 

三好(7.0)

ウルグアイ戦、圧巻2ゴールで我々を狂喜乱舞させてくれた。大会前は注目度の低かったプレーヤーではあったが、この大会で大きくその評価を上げた。今はおそらく法政大学より評価が高い。

 

柴崎(7.0)

ウルグアイ戦の先制ゴールを生み出したフィードはモドリッチのそれに通ずるものを感じた。攻守に渡って献身性を誇示し、1つレベルアップした姿を見せてくれた。

彼もまた、就職活動に役立つ大会になったことだろう。

 

板倉(0.81)

冬、突如マンチェスターシティ完全移籍で日本を騒がせたプレーヤー。僕も初めて見た。何が上手いのかは分からなかった。背が高い。髪の毛は茶色い。謎の落ち着きを払っていた。でも技術が伴っていなかった。ウイイレFIFAでのイメージトレーニングは十分だったらしいが、ピッチで表現できないのであれば意味がない。今頃FIFAエクアドルをボコボコにしてると思う。0点。

 

森保(一)

解任しろ。

 

 

 

原口元気(評価無し)

召集されていなかったが今大会ワースト。

今後も召集する必要はない。

 

方針 #9

クリーニングのタグを取り忘れ、登校。

電車の中で気付いて良かった。

ブログのネタ的には気づかない方が美味しかったな、と悔やんだ。

 

 

どうも。

日向坂46のnewシングルのカップリング、「キツネ」のMVが公開された。ハロプロ感漂う曲調だった。

 

「キュン」「ドレミソラシド」と同様に、印象的なダンスシーンを含む構成になっている。今回も"ドレミダンス"のように、"キツネダンス"として世に広め、まだ日向坂46を知らぬ人間に強い印象を与えようという思惑があるのだろう。

 

まだ発展段階に位置する日向坂46にとって、既存ファンの意向を呑むより、将来的にファンになるであろう層をターゲットに曲を出していくことは、非常に理に適っている。

既存のヲタクたちは誰も彼も皆、日向坂46に恋をしてからまだ間もないことを考慮すれば、現在の顧客を失う可能性は限りなく低いのだ。

 

しかしここで僕が1つ疑問に感ずるのは、「渋滞」だ。キャッチーな曲を出し、世間から「曲への認識」をしてもらうことは非常に重要なことだが、最終的な目標である顧客の確保のためには「グループへの認識」が達成されなければスタートラインにすら立てない。

その点で、「キュン」に始まり「ドレミソラシド」、さらには今回の「キツネ」。キャッチーな曲をリリースし過ぎることで、見る側の人間に対して個人差はあれど錯誤を引き起こしかねないのではなかろうか。

 

乃木坂46は、その"大人っぽいアイドル"のイメージから生み出される曲が多く、それに固執した結果どれも"良い曲"にとどまり、AKB48の「会いたかった」「ヘビーローテション」のような代表曲と言える曲を持たない。これは秋元康の犯した1つの大きなミスだろう。

 

日向坂46に於いては、同じ失敗を繰り返して欲しくはないのだ。似た曲調の作品が重なれば、1つ1つの曲へスポットが当たりにくくなるのは当然だ。敢えて印象に残りにくい曲を聴かせ、「やっぱり日向坂46は『キュン』のグループだ」と思わせることも1つのテクニックだと、私は思う。

 

こういったことを全て踏まえ、恐縮ながら今回の「キツネ」の個人的な評価を付け、締めの言葉としたいと思う。

 

曲…満点

歌詞…満点

ダンス…満点

可愛さ…満点

カメラワーク…満点

撮影地…満点

東村芽衣…満点

高本彩花…満点

 

MV完成度…満点

 

 

厳しめの評価をどうか許して欲しい。

 

 

 

(投稿:ロリコン大学幼女愛好科入学志望者)